推しのライブチケットを気づけば複数公演分申し込んでいたり、限定グッズを見つけると理由をつけて手が伸びてしまったり——そんな経験、ありませんか?
「推し活」と呼ばれるその情熱、実はいま3兆円を超える巨大な市場を動かしています。そして、その仕組みを覗いてみると、業種を問わずどんなビジネスにも通じる「お客様に選ばれ続ける理由」のヒントが詰まっていました。
今回読んだ本
2026年本屋大賞を受賞した、朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」です。

アイドルグループの運営に参画することになった中年男性、推しとの出会いで人生が変わっていく大学生、応援していた俳優のスキャンダルに直面する女性。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側——世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を描いた一冊です。
物語小説としての面白さはもちろんですが、読み進めるうちに「これはマーケティングの教科書でもある」と感じました。
著者・朝井リョウさんについて
朝井リョウさんは1989年岐阜県生まれ、早稲田大学在学中の2009年に「桐島、部活やめるってよ」で小説すばる新人賞を受賞しデビューしました。2013年には「何者」で直木賞を戦後最年少受賞、2014年「世界地図の下書き」で坪田譲治文学賞、2021年「正欲」で柴田錬三郎賞を受賞するなど、現代社会を鋭く描く作家として第一線で活躍を続けています。
タイトルの由来「チャーチマーケティング」
「メガチャーチ」というタイトル、少し不思議に思いませんか? 実はこれ、海外発の実在するマーケティング理論から来ています。
「チャーチマーケティング」と呼ばれるもので、もともとは教会離れが進む若者をどう呼び戻すかという課題から生まれました。教会側が若者にとって魅力的な体験や物語を用意し、能動的に足を運んでもらう仕組みをつくっていったのです。本書はこの発想を、アイドルグループの運営という舞台に置き換えて描いています。信仰の対象が「神」から「推し」に変わっただけで、人の心を動かす構造そのものは驚くほど似ている、という視点が本書の核になっています。
良い商品・良いサービスだけでは売れない
本書を読んで最も印象に残ったのは、「良い商品や良いサービスだからといって売れるとは限らない」という視点です。人が購買に至るのは、機能や品質そのものよりも、その背景にある“物語”に共感したときだ、という考え方が繰り返し描かれています。
これは「信徒気質」「プロデューサー気質」「評論家気質」といったファンのタイプ分けにも表れています。自分の推し方を性格診断のように見つめ直させる仕掛けになっていて、思わず自分自身や周りのファンの顔を思い浮かべてしまいました。
こうした「ファン(fandom)がお金と時間と発信力を注ぎ込むことで生まれる経済圏」のことを、ファンダム経済と呼びます。グッズ購入やライブ参加といった直接消費だけでなく、SNSでの拡散や口コミ、ファン同士の応援活動までを含む概念です。
実際の市場データを見ても、その広がりは無視できない規模になっています。推し活総研(CDG・Oshicoco)が2025年1月に実施した2万人超対象の調査では、推し活人口は約1384万人、1年間の市場規模は約3兆5千億円と推計されました。前年からわずか1年で250万人増加し、年間の推し活支出は平均25万円を超えるという結果も出ています。野村総合研究所の分析でも2025年3月時点で市場規模は約3.8兆円とされ、調査機関によって幅はあるものの、右肩上がりの成長トレンドは共通しています。
「自分を使い切ったもん勝ち」という熱狂の仕組み
もう一つ印象的だったのが、「自分というリソースを使い切ったもん勝ち」という考え方です。お金や時間、労力を推しに注ぎ込み、自分を使い切ってしまうことで、かえって視野が狭くなり、強い幸福感に満たされる——本書はこの一見不合理な心理を、否定するのではなく、人が没入する構造として丁寧に描いています。
グッズ購入やライブ参戦だけでなく、投げ銭やメンバーシップ課金、ファン同士が資金を出し合っての応援広告出稿など、消費者自身がコンテンツの拡大に能動的に関わる行動が広がっているのも、この「使い切ることで得られる幸福感」と無関係ではないように思います。企業が売るだけでなく、ファンが自ら価値を生み出す側に回る——これこそがファンダム経済の本質だと感じました。
自分のビジネスに置き換えると
皆さんのお客様は、どんな関わり方をしてくれているでしょうか。
本書に出てくる「信徒気質」「プロデューサー気質」「評論家気質」という切り口は、そのまま顧客セグメントの話に置き換えられます。顧客セグメントとは、年齢や購買額といった属性だけでなく、関わり方や熱量の違いによっていくつかの層に分け、それぞれに合ったアプローチを設計する考え方です。
熱量高く応援してくれる層、改善提案をくれる層、冷静に評価してくれる層。それぞれに合った関わり方を用意できている会社は、実はそう多くありません。全顧客に同じ発信をするのではなく、熱量の高い顧客には限定情報や先行体験を、評価者タイプの顧客にはフィードバックを求める設計をするだけでも、関係性の深まり方は変わってきます。
中小企業だからこそ活きる視点
地域の事業者を支援していて感じるのは、優れたお店や会社ほど、お客様が「なぜここを選び続けているのか」という物語をうまく言葉にできていないことが多い、ということです。
良い商品や良いサービスをつくることは大前提ですが、それだけでは選ばれ続ける理由にはなりません。創業の想いや作り手の顔が見える発信をしている会社ほど、価格競争に巻き込まれにくいというのは、規模の大小を問わず共通する原則だと思います。物語やコミュニティは顧客との関係を深める強力な武器ですが、あくまで誠実な価値提供の上に成り立つものだという前提は忘れずにいたいところです。
まず一度、書き出してみてください
自社の商品やサービスを選んでくれているお客様は、どんな理由で応援してくれているでしょうか。一度、書き出してみてください。
熱量の高いお客様に、いつもと違う特別な体験を用意できていますか? お客様が自ら発信したくなるような余白は残せていますか?
ファン心理やコミュニティ運営、顧客との関係づくりについてお悩みの方は、お気軽にご相談ください。

